国東市岩戸寺 岩戸寺修正鬼会   2009年1月31日   

このページは、MSゴシック(等幅フォント)、文字サイズ中で作成しています。
この条件で見ていただく事を推奨します。


 大分県国東市国東町岩戸寺、天台宗寺院、
山号:石立山、寺名:岩戸寺。
ここで、行われる「修正鬼会」を紹介しよう。

修正鬼会の始まり

養老年間、六郷満山を開基した仁聞菩薩(にんもんぼさつ)が、国家安穏(こっかあんのん)・五穀成就(ごこくじょうじゅ)・息災延命(そくさいえんめい)の諸願成就(しょがんじょうじゅ)のために「鬼会式」6巻/「修正導師作法」2巻・「修正縁起導師作法」1巻・「仏名経」1巻・「初夜導師之法」・「千手式」「法咒式」の2巻を六郷28ヶ寺の天台の僧侶へ下賜した。
六郷満山(まんざん)の天台は、これを受けて、日本六十余州の神仏を勧請して祈願の大法要を勤修した。これが、国東六郷満山修正鬼会の初めと伝えられている。

※六郷とは、両子山(ふたごさん)を中心に放射状にのびる国東の谷で、来縄(くなわ)・田染(たしぶ)・安岐(あき)・武蔵(むさし)・国東(くにさき)・伊美(いみ)の事。
午後2時過ぎに我が家を出発した。国東市の浜陰から県道544号線を両子山へ向かって上る。浜陰から9km程で岩戸寺下の駐車場に到着した。
時間は午後2時半。10台程停められる駐車場はすでに満車。さて、どこへ?と思って、ウロウロしていると、駐車場の下の家から出てきたおばさんに「上のお墓の前に停めて良いよ」とお声掛けいただいた。
早速その場所へ車を停めさせていただく。墓石には吉武家と刻まれていた。親切なおばさんは吉武さんらしい。
田舎の暖かい親切を感じました。ありがとうございました。

寺の境内へと上ってみる。境内では、檀家の人たちがたき火を囲んで暖をとっていた。その中へ混ぜてもらい話しかけると、気持ちよく相手をしてくれる。

田舎の気さくさを感じる。たき火も人も温かい。その股引もセーターも暖かく快適である。

たき火を囲む面々は、結構な高齢者が目立つ。この鬼会を支える力も高齢化の波が押し寄せていることを感じた。

修正会(しゅじょうえ)とは、各寺院で修する年始の法会をさす。
毎年正月に、前の年の悪を正し、その年の吉祥を祈って修される。
修正会の起源は、天長4年(828年)東寺・西寺で薬師悔過を行ったこと、あるいは、神護景雲2年(768年)聖武天皇が諸国の国分寺で吉祥悔過を修したことに由来するという。これが、平安中期以降、修正会と呼ばれて、正月の上旬ないし中旬に行われる寺院の行事である。

この修正会が、鎌倉時代初期には、国東半島へも流入普及していた様である。修正会の際に、その最後を鬼会が飾った様である。
「太宰管内志」記録には、長享3年(1489年)長安寺(豊後高田市新城)が1反歩の「鬼会田」を有しているとあり、このころ同寺で鬼会が行なわれていたことを物語っている。他の諸寺院も鬼会田を有して、その収穫を鬼会運営の経費にあてたと思われる。また、この鬼会田の表記から、修正会全体の中の鬼会のウエイトが大きかったのだろう。


岩戸寺講堂
         



「太宰管内志」の「六郷山定額院主目録」によると、両子寺や天念寺・霊仙寺(香々地)・無動寺(真玉町黒土)・清浄光寺(しょうじょうこうじ)・岩戸寺(国東町)等は12の坊を有していた。
他の諸寺も多数の坊を有していたようである。

このように多くの坊を有して、さらに、村人も多く、また、幕府や朝廷の保護を受けた時代の各寺は単独で修正鬼会を開催することができたのだろう。
しかし明治以降、その支援も途絶え、経済力が衰えた各寺は、坊が滅び僧が威少する事となり、各寺が単独に修正鬼会を執行することが困難となる。そこで、六郷満山を東・中・西の3組に分け、各寺の修正鬼会には組内の全僧がその寺を応援して法会を執行し、また、次の寺に応援する方法となった様だ。
東組 ・・・・ 国見町伊美地区と竹田津町とを除く東国東郡内の寺院
中組 ・・・・ 伊美・竹田津、及び西国東郡香々地町地区の寺院
西組 ・・・・ 香々地町を除く西国東郡、豊後高田市内の寺院

東組は、両子寺(安岐町)を中心とする組と、文殊仙寺(国東町富来)を中心とする組の2組に分け、この2組内の僧が交互に加勢し合った。また、東組の修正鬼会の打ち止めは旧正月8目に両子寺で行なわれた。両子寺の打ち止めには東組内の全僧が参加した。

太平洋戦争前までは右表のようにかなりの寺院で修正鬼会を行っていたが、今は(2009年現在)僅かに岩戸寺・成仏寺・天念寺でしか行われていない。
(丸小野(武蔵町)では子供修正鬼会が行われている。)また、岩戸寺と成仏寺は交代で隔年に行なわれている。衰退の主な原因は、多額の経費を要する事、並びに、高齢化による人手の不足であろう。
経費は、国東市や豊後高田市の補助によってその大半をまかなっている。

寺 名
所 在 地 勤 修 日
 長安寺   豊後高田市新城  旧正月
1〜3日
 天念寺  豊後高田市長岩屋 4〜6
 報恩寺  豊後高田市上来縄
 智恩寺  豊後高田市美和
 高山寺  豊後高田市美和
 間戸寺  豊後高田市田染
 本松院  西国東郡真玉町黒土
 無動寺  西国東郡真玉町黒土 6〜8
 応暦寺  西国東郡真玉町上真玉
 霊仙寺  西国東郡香々地町夷 1〜3
 小城寺  東国東郡安岐町 3〜5
 両子山  東国東郡安岐町 6〜8
 神宮寺  東国東郡国東町豊崎 6〜8
 虚空蔵寺   東国東郡国東町成仏 1〜3
 千灯寺  東国東郡国東町上伊美 2〜4
 西方寺
(清浄光寺)
 東国東郡竹田津西方寺
 西明寺  速見郡山香町 1〜3
 水月寺  速見郡山香町立石
 金剛寺  速見郡山香町立石 6〜8
 霊亀寺  宇佐郡宇佐町両戒

修正会勤修状況(安貞2年)
「太宰管内志」の「六郷山定額院主目録」より

法会実施日 東組/両子寺組 東組/文殊仙寺組
旧正月4日  丸小野寺(武蔵町)法要のみ  
旧正月5日  行入寺(国東町)法要のみ  成仏寺(国東町)
旧正月6日  神宮寺(国東町)  文殊仙寺(国東町)
旧正月7日  瑠璃光寺(安岐町)  岩戸寺(国東町)
旧正月8日 両子寺(安岐町)

法会実施日 中組 西
旧正月元旦    智恩寺(豊後高田市)
旧正月5日  清浄光寺(竹田津町)  応暦寺(真玉町)
旧正月6日  霊仙寺(香々地町)  長安寺(豊後高田市)
旧正月7日  千燈寺(国見町)  天念寺(豊後高田市)
旧正月8日    無動寺(豊後高田市)
旧正月9日    弥勒寺(真玉町)
旧正月10日    胎蔵寺(豊後高田市)
旧正月11日    岩脇寺(豊後高田市)
旧正月12日    西明寺(山香町)


−01−